激しい気性で全親戚から縁切りされた義母。再同居して看取りまでやりきりました

完全同居

 

気性の激しい義母と完全同居・・・って、考えただけでも同居嫁が一方的に苦労しそうなシチュエーションです。

今回は、そんな親戚中から縁切りされるほどの義母と完全同居し、数々のとんでもエピソードを残し、まさかの大晦日に義母のヒステリーで別居、だがトラブルの耐えない義母のご近所づきあいを見かねて再同居をした同居嫁の体験談をお届けします。

変わり者の義母との完全同居。親戚から「無理!」と言われた通りでした

同居嫁ネーム 介護疲れ
同居形態 完全同居(玄関・風呂・トイレ・台所一緒)
同居メンバー 義母61、主人33、息子1、自分28
同居歴 同居5年、同居解消後11年、再度同居13年

そもそも義母はかなりの変わり者だったんだと思います。

24歳で主人宅に嫁いだのですが、義母は義父とも離婚をしておられるのは知っていました。

でも、実は全ての親戚から縁を切られている状態でした。

同居を決めてから、義母のご兄弟から「無理やで!」って言われたのが事実だとわかったのはすぐでした。

帰宅が少し遅いだけで警察に電話する同居義母

スーパーに買い物に行くのにもどこに何を買いに行くか報告をします。

〇〇スーパーなら半時間。××なら1時間と思っておられたんでしょうね。

1時間のスーパーで、少し立ち読みをして、ご近所さんと立ち話をして2時間少しかかったことがありました。

帰宅すると鬼の形相で玄関に正座していました。

それも、心配して警察に電話までしていたのです。

昼間に近所のスーパーに行った大人の帰宅が1時間遅いだけで!

もちろん警察にはとりあってもらえませんでしたが・・・

 

それからは、極力気をつけて窮屈な毎日をおくっていました。

しかし、妊娠して母親教室に行った時に久しぶりに同世代の同じ妊婦さんと交流しました。

日頃のストレスもあり、ついつい楽しくて気づくと立ち話が1時間あまり・・・あわてて帰宅しましたが、また警察に連絡してました。

もちろん前回同様にとりあってもらえませんでした。

義母が「出て行け!」とヒステリーを起こし突然別居に

それから1年ほどした大晦日のことです。

それまでは、わたしがおせちを作って、義母の部屋で3人でお祝いをしていました。

その年は息子が生まれて初めてのお正月だったので義母と「広い2階の居間で一緒にお祝いをしよう」と決めました。

決めてその手でおせちを2階にもって上がったのですが、直後に予想しない事態がおこりました。

私と交代のように1階におりた主人に「おせちを持ってあがったのは、もう私とお祝いしないってことやね!」っといい放たれたのです。

驚いた主人は私になぜそんなことをしたのかたずねました。

私は寝耳に水で息子がいるから広い2階でお祝い一緒にしようと決めて持ってあがったと伝えました。

全く持って違う主張に主人はとまどい、義母は途中からヒスを起こしだしました。

最後にはものを投げつけて「出ていけ!」と叫びだすしまつで、主人も売り言葉に買い言葉で結局いきなり別居が決まってしまいました。

幸せな別居生活。頑なに借りを作らない義母さん・・・

そこから数年はとても羽を伸ばせた日々でした。次男も生まれ4人で気遣いのない生活でした。

その頃には主人と私の中では義母は軽い精神疾患の認識になっていました。

友人も親戚もなく、いつも誰かが悪く自分は清廉潔白だと本気で思っているようでした。

気軽に話す相手がいないので、TVや週刊誌で知る下世話な人間が自分以外の人の像になっているようでした。

お料理を届けたり、贈り物をすると絶対にすぐに倍でかえってきました。

頂いたらお返ししたいのは誰もです。

でも、借りはつくらない!と言うスピードなんです。

風邪をひかれていたのでお粥を届けたら1時間後にアイスクリームを買ってお返しに来たりってこともありました。

体調を気遣ってなのに元も子もありません。

やんわりと「頂くばかりは気が引けるからこんな時くらい私もお手伝いさせて下さい」といったら「私は心が綺麗だから人につくしたいけど、あなたは心が綺麗じゃないからもらう方がうれしいでしょ」と言われました。

その頃にはなれっこでしたが、義母のこころの全てが現れた言葉だと感じました。

 

私を含めた大多数の人間は、人間関係でギブアンドテイクのバランスがとれなくて頂いてばかりだと居心地が悪い善良で小心だと私は思っています。

義母にはそれがどうしてもありえないことだったんです。

私を含めた自分以外の人間はただただ強欲で、人を陥れてでも得をしたいと思っていると信じていました。

完全二世帯住宅にリフォームして再同居。義母を介護し看取りました

そんな母ですので、ご近所とのトラブルも絶えませんでした。

どうしようもなく80歳を目前にふたたび同居をする事にしました。

玄関以外は完全二世帯住宅にリフォームしました。

 

また気遣いの生活でもありましたが、私も年を重ねて強くなり。何より、主人も息子たちも私が正しい事を十二分に理解してくれているので楽でした。

最後の数か月は介護生活でしたが、2年前におくりました。

 

腹の立つことも、泣いた日もありましたが、今思うと義母は誰も理解せず、誰にも理解されない人生だったと思います。

彼女の人生を思うと、最後の数か月でも認知のせいだったのか穏やかに心を開いてくれてよかったのかなと。

後悔がないとは言いませんが、やれることをやったと思えています。

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